2010年5月6日木曜日

つぶやき。

研究ログでもないが、戯言と言うにはもったいないというか、少し覚えておきたい思考をメモする、「つぶやき」という研究ログと戯言の間のジャンルを作ろうと思った。

今更ながら思春期のHIV/AIDSの予防について、国内(1つだけ海外)の論文を読みながら考えたこと。もちろん以下、勝手な持論でしかない。

1.思春期においてはHIV/AIDS予防は性教育と切っても切れない関係にある。なぜなら若い世代が一番HIV/AIDSの危険にさらされるのは、STIとしてのHIV/AIDSであるから。さらに言うのであれば、思春期のHIV/AIDS予防教育は、第二次性徴に関する知識(機能・解剖生理学的知識と精神的成熟への知識、「育ちゆくからだとわたし」的な内容)と生殖とリプロダクティブヘルス/ライツに関する知識(若干のHow to sexを含むこともあるかもしれない)と共に三位一体の教育としての形を取らざるを得ない。

2.韓国等文化によっては道徳的な価値観が個人の性行動(すなわち裏を返せば予防行動)を左右する場合があるが、性を恥、タブー視する日本とあっては親が子の性行動について積極的に介入をして教育することも、学校が道徳教育の中で性行動について教育することも難しい。実際海外の論文には「親と性的な話題について話す」と答えた子どもほど初交年齢が早くなる、という結果もあるようだし、「性的な事柄に対して知識を持っている生徒の方が性に対して積極的に行動する」という結果もある。「寝た子を起こす」という日本の教育界の考え方もあながち間違いとは言えないかもしれない…。もっとも、性的知識を有することが、子どもを積極的な性行動へ向かわせるのか、性に対して積極的に行動した結果として性的な事柄への知識が豊富になったのかはわからない。

3.韓国における「新純潔主義」はその主張通りの在り方であるとすれば、HIV/AIDS予防教育として有用であるかもしれない。特に「性や性行動そのものを否定するのではなく不潔な(金銭の授受や、猥褻な遊びとしての)性行動」を排除しようとする点、「心に不純なものがなく性行動をさせられた場合(強姦にあう等)は不潔とは捉えず、身体的治療や精神的ケアを十分施して社会的偏見を持たれないようにする」点で、非常に優れた理念かもしれない。
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ここから先はただの戯言です。

そろそろ疲れてきたなぁ。5月病気味。ゴールデンウィークの間毎日研究室に通って、そのうち2日は研究室に泊って課題を消化するのに一生懸命になったら、まるで休んだ気のしない休みだった。

今日、講義が終わった後、同期と研究室でおやつ食べつつ、お茶飲みつつ、「何だかそろそろ休みたいなぁ」なんて思ってしまった。いやいや、GW明けたばっかりですぜ…。

研究室でも300ページぐらいある若者のHIV/AIDS予防に関するUNAIDSの報告書みたいなやつをプリントアウトして満足してた。こんな膨大な英語のドキュメント読むわけないじゃん…て思いながら。そんな様で抄録なんて書けるのか?

いや、でも多分私はこの膨大な報告書を読むし、きっと抄録も書くんだろうな。だって、O先生に出された発表の課題だって内容はともかくなんとかやりきったし、ヘルスプロモーションのプレゼン用スライドだって全部英語でそれなりの形を作った。数理系や情報系にめっぽう弱い私が、意味のわからないRの実習でも毎回先生や同期ににたくさん教えてもらいながらそれでもどうにかこうにかやり方覚えてる(←来週には忘れているというツッコミはなしで)。あんまり意味分かってないけどT先生の医生物統計の宿題だってなんとか終らせた。
もちろん自分一人でやっているわけじゃなくて同期2人がいるから乗り越えられるけど、疫学ゼミに備えて英語のテキストをあらかじめ読み下す自主ゼミだっていつも目標のページまできちんと終わらせてる。

やれって言われたこと、ここまできっちりやってきてるじゃん。出来はともかくとして。看護の時よりずっと私、いろいろやれてる。私にはできるって思えてるし、実際やってる。


でも、まだ始まったばっかりだし、やれって言われたことやってるだけじゃ甘いんだよな。W先生の講義のレベルに追い付きたいと思ったら、自分の頭で考える時間をきちんと持たなきゃダメ。そのためにはもっとさっさと課題を片付けていかなきゃダメだなぁ。

でも根拠はないけれど、私はなんとかやっていけるような気はしている。

うん、多分大丈夫。

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