2010年5月18日火曜日

研究ログは明日書きます。

疫学ゼミの後にたくさんの反省点とともに。ただ、少し感想も書いておかなければ。

このごろの私のやってることは最低だな、と思った。

何だか人としてがさつな生き方をしているというか、下品というか。別に下ネタで笑ってるからとかそんなんじゃなくて、他人に対する対応がいい加減。ハイテンションじゃないと乗り切れないこともあったけどそれにしても、調子に乗りすぎ。常に自分中心。

口を開けば悪口ばかり(しかも自分より偉い人の)、言葉づかいも汚い。

約束は平気で忘れてすっぽかす。

めんどくさいが口癖。

ちょっと追い詰められただけでピーピー泣く。

…それは疫学教室の院生としてどうなんだろう?
疫学を志す人間にはきっとかなりバランス感覚が求められているはず。調和のとれた世の中を作ろうっていう。それなのに自分に偏った利己的な態度で生活しているのはちょっと言っていることとやっていることが矛盾している気がする。

利己的な人間にsocial justificationの話をされたって、「バカか、こいつは?イタいやつだな」と思われて終わってしまうはず。明日からは少し品行方正な大人しい生き方をしようと思う。

まず、明日は2つもプレゼンテーションをするチャンスを与えてもらったのだから、それに感謝しよう。そしてそれに対して謹んで全力を尽くそう。確かに辛いし、大変なことだけれど、とてもやりがいのあること。楽しまなくちゃ。

それから失った信用はゆっくり、我慢しながら取り戻すしかない。自分の浅はかな態度への罰が当たったと思ってしっかり反省するしかない。優しく穏やかで他人への思いやりのある、自分に厳しい生き方をしよう。

2010年5月8日土曜日

一つの命を救える人は、世界も救える

この言葉って裏を返すと「世界を救えるような人間になりたいのなら目の前の一つの命を救えるようであれ」という意味なのかな?なんて思ってみたり。

あ、違う。論理の世界ではある一つ命題が真だからと言って、必ずしも、その「逆もまた真なり」とは言えないんだった。

昨日は最悪だった。大学から逃げ出したいくらい何かが嫌で嫌でたまらない日だった。6限に医療情報処理の講義に出ようと思ったら過呼吸が止まらなくなった。どんだけ医療情報処理嫌いなんだ?いや、別に医療情報処理の講義が嫌いなわけじゃないけれど。おいおい、なんで私病んでるんだ(; ̄▽ ̄)?

ていうか、本当に何が嫌なのか分からなかったから対処のしようがなかった。参ったな…。

自分のしていることが誰かの役に立っているんだろうか?いや、今は立ってるはずがない。いつか誰かの役に立つんだろうか?役に立ちたいと思うから、私は医療の世界から抜け出せない。看護ではダメダメだったけど。

前は誰かに大事にされたかった。誰かにとても甘えたかった。今は誰かに甘えてほしい。なのに自分の事すら面倒見切れなくて、人に迷惑かけて自己嫌悪。

昨日は帰りにコンビニで珍しくハコのジュースを買って、ストローでちびちび飲んだ。気がついたらストローをぺしゃんこに噛みつぶしてた。昔サークルの後輩に聞いた話で真偽の程は知らないけれど、欲求不満があると人はストローを噛むらしい。

あたしは、欲求不満なのか?

というより何が今、私の欲求なんだかわからん。
世界を救いたいのか、一つの命を救いたいのか?やっぱり誰かに甘えたいのか、甘えられたいのか?

YUIのJust My Wayを聞いた。笑った。昔マイさんに、「これはNancyちゃんの曲だよ、覚えて歌って♪」ってカラオケで言われた。あ、いずれマイさんのことも戯言ラベルでブログに書こう。

実際、マイさんに言われて練習して何回か二人でカラオケに行ったときに歌った。改めて聞いてウケた。こんな曲だったっけ?
だって、まず歌い出しから

「なぁーい カギが見当たらなぁい~♪」って…。

2010年5月6日木曜日

つぶやき。

研究ログでもないが、戯言と言うにはもったいないというか、少し覚えておきたい思考をメモする、「つぶやき」という研究ログと戯言の間のジャンルを作ろうと思った。

今更ながら思春期のHIV/AIDSの予防について、国内(1つだけ海外)の論文を読みながら考えたこと。もちろん以下、勝手な持論でしかない。

1.思春期においてはHIV/AIDS予防は性教育と切っても切れない関係にある。なぜなら若い世代が一番HIV/AIDSの危険にさらされるのは、STIとしてのHIV/AIDSであるから。さらに言うのであれば、思春期のHIV/AIDS予防教育は、第二次性徴に関する知識(機能・解剖生理学的知識と精神的成熟への知識、「育ちゆくからだとわたし」的な内容)と生殖とリプロダクティブヘルス/ライツに関する知識(若干のHow to sexを含むこともあるかもしれない)と共に三位一体の教育としての形を取らざるを得ない。

2.韓国等文化によっては道徳的な価値観が個人の性行動(すなわち裏を返せば予防行動)を左右する場合があるが、性を恥、タブー視する日本とあっては親が子の性行動について積極的に介入をして教育することも、学校が道徳教育の中で性行動について教育することも難しい。実際海外の論文には「親と性的な話題について話す」と答えた子どもほど初交年齢が早くなる、という結果もあるようだし、「性的な事柄に対して知識を持っている生徒の方が性に対して積極的に行動する」という結果もある。「寝た子を起こす」という日本の教育界の考え方もあながち間違いとは言えないかもしれない…。もっとも、性的知識を有することが、子どもを積極的な性行動へ向かわせるのか、性に対して積極的に行動した結果として性的な事柄への知識が豊富になったのかはわからない。

3.韓国における「新純潔主義」はその主張通りの在り方であるとすれば、HIV/AIDS予防教育として有用であるかもしれない。特に「性や性行動そのものを否定するのではなく不潔な(金銭の授受や、猥褻な遊びとしての)性行動」を排除しようとする点、「心に不純なものがなく性行動をさせられた場合(強姦にあう等)は不潔とは捉えず、身体的治療や精神的ケアを十分施して社会的偏見を持たれないようにする」点で、非常に優れた理念かもしれない。
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ここから先はただの戯言です。

そろそろ疲れてきたなぁ。5月病気味。ゴールデンウィークの間毎日研究室に通って、そのうち2日は研究室に泊って課題を消化するのに一生懸命になったら、まるで休んだ気のしない休みだった。

今日、講義が終わった後、同期と研究室でおやつ食べつつ、お茶飲みつつ、「何だかそろそろ休みたいなぁ」なんて思ってしまった。いやいや、GW明けたばっかりですぜ…。

研究室でも300ページぐらいある若者のHIV/AIDS予防に関するUNAIDSの報告書みたいなやつをプリントアウトして満足してた。こんな膨大な英語のドキュメント読むわけないじゃん…て思いながら。そんな様で抄録なんて書けるのか?

いや、でも多分私はこの膨大な報告書を読むし、きっと抄録も書くんだろうな。だって、O先生に出された発表の課題だって内容はともかくなんとかやりきったし、ヘルスプロモーションのプレゼン用スライドだって全部英語でそれなりの形を作った。数理系や情報系にめっぽう弱い私が、意味のわからないRの実習でも毎回先生や同期ににたくさん教えてもらいながらそれでもどうにかこうにかやり方覚えてる(←来週には忘れているというツッコミはなしで)。あんまり意味分かってないけどT先生の医生物統計の宿題だってなんとか終らせた。
もちろん自分一人でやっているわけじゃなくて同期2人がいるから乗り越えられるけど、疫学ゼミに備えて英語のテキストをあらかじめ読み下す自主ゼミだっていつも目標のページまできちんと終わらせてる。

やれって言われたこと、ここまできっちりやってきてるじゃん。出来はともかくとして。看護の時よりずっと私、いろいろやれてる。私にはできるって思えてるし、実際やってる。


でも、まだ始まったばっかりだし、やれって言われたことやってるだけじゃ甘いんだよな。W先生の講義のレベルに追い付きたいと思ったら、自分の頭で考える時間をきちんと持たなきゃダメ。そのためにはもっとさっさと課題を片付けていかなきゃダメだなぁ。

でも根拠はないけれど、私はなんとかやっていけるような気はしている。

うん、多分大丈夫。

2010年5月5日水曜日

Thus, I always gain weight.

戯言ブログはそのまま書いても全然勉強にはならないので、zackeeを見習って英語で書いてみることにしようかと。いつまで続くか分からないけれど…。

Good Morning, guys.I'm now at epidemiology lab. Through this holidays, I've come to my lab. everyday. "Golden Week" like this is pretty nice.

After drinking, I'm always urged to have some sweets.
In fact, I've already had a pastry and pineapple juice and in the fridge of epidemiology lab,there is an ice cream which I bought this morning.

Anyway,I did enjoy drinking with my colleagues yesterday.Indeed!
But I'm really sorry for them.I was totally drunk. Nevertheless, they were very sweet to me. I really thank them.

And finally, I threw up this morning. I feel sick but I want some sweets. Naturally, I'll gain weight.

To have many friends is good, I think. But I don't want to.
For epidemiologists, one of the main issue of epidemiology is to feel that "I want many people to know about this information!",I think. But when it comes to the personality, I want only just a few people to know me well. Yes! I want only just a few people.

And I sometimes wonder whether I AM or NOT the one of that "few people" of someone's. I really hope to be so.

2010年5月4日火曜日

Rate Ratio と Odds Ratio

この間の疫学ゼミ(2010/4/28)で、どういうわけか私は率比とオッズ比を勘違いしていた。

ゼミで使っているThe Foundations of Epidemiology というテキスト(←もちろんオールイングリッシュですわ…;;)に、食中毒の原因を探る例が載っていた。その中で食品別の罹患率(その食品を食べた人のうち、食中毒になった人がどのくらいいるか、すなわち「その食品を食べたの人の中で食中毒になった人数/その食品を食べた人全体の数」)とその食品を食べなかった人の罹患率(「その食品を食べなかったけれど食中毒になった人数/その食品を食べなかった人全体の数」)を各食品ごと比べて、その中から最も原因と思しき食品を見つけ出す、という設問が出されていた。

ある食品Aを食べた人の罹患率が23%で食べなかった人の罹患率が8%だった場合、単純に23÷8で、「食品Aを食べると食べなかった場合に比べて約2.88倍食中毒にかかりやすい」、ということになる。当然、食べた人の罹患率がより高く食べなかった人の罹患率がより低くて、食べた人と食べなかった人の間で罹患率の開きが最も大きい食品が食中毒の原因として疑わしい。

でもこの罹患率の比は率比(Rate Ratio)であってオッズ比(Odds Ratio)ではない。私はこれをオッズ比と勘違いしていた。

そもそもオッズというのはどういうものなのか?
オッズというのはある出来事が起こる確率と起こらない確率の比のことであるという。つまり、一枚のコインを投げて表が出る確率は1/2。表がでない確率も1/2。だからオッズは表が出る確率1/2÷表がでない確率1/2=1。オッズが1だということはつまり表が出る確率は出ない確率の1倍起こりやすい = 起こりやすさに違いはない。ということ。

そしてそのオッズ同士の比がオッズ比なのだ。

これをその食中毒の話ですると食品Aを食べた場合の罹患率が23%なら、罹患しない率(そんな言葉は存在しない)は(100-23)%で77%。23÷77で食品Aを食べて食中毒に罹患するオッズは約0.3になる。食品Aを食べなかった場合の罹患率は8%だから、食品Aを食べなかった場合の罹患しない率は(100-8)%で92%になる。8÷92で食品Aを食べずに食中毒に罹患するするオッズは約0.09。食品Aを食べた場合の食中毒の起こりやすさと食品Aを食べなかった場合の食中毒の起こりやすさの比、すなわちオッズ比は0.3÷0.09で約3.3で、食品Aを食べた場合の方が約3.3倍食中毒が起こりやすいとみなすことができる。

単なる率比とオッズ比とでは複雑さが全然違うみたい。これは混同してはいけませんね。

P.S.ていうか私は保健師免許を持っているのに、どうしてオッズ比の基本的な概念を忘れてしまったんだろう…恥ずかしい…。

Reference:柳川洋,坂田清美(編):改訂6版 疫学マニュアル,南山堂,2003

2010年5月1日土曜日

記念カキコ。

初ログ投稿おめでとう!という具合に自分の中で盛り上がっているので、ついでにこんないらない投稿まで。

先生に私信。このエントリーは、研究ログではありませんので、ご覧頂かなくて大丈夫です。

入学して1カ月のログのようなものでもかいてみようかなと。


まず、私は研究室の同期に感謝したい。こんないい同期に恵まれた院生は他の研究室にいるんだろうか。バカな話も出来て、でも真面目でしっかり自分の目標に進んでいく、そういう素敵な同期2人に出会えた入学式の日がもう懐かしい。

あれから1カ月。忙しかったけれど私は進歩するより退化する一方だった気がする。

まともに研究テーマも決められない。指導教官の講義は日に日に分からなくなって怖くなる。最初は前の方で講義を聞いて一生懸命くらいつこうとしていたのに、今は置いていかれても気にならない。同期と一緒になって後ろの席に逃げてる。私は疫学がやりたくて疫学教室に入ったんじゃなかったんだっけ?
疫学って何するものなんだったっけ?疫学やりたいと思ったのはどうしてなんだっけ?どんな研究したかったんだろう?昔持ってたものを全部なくした気がする。

一番なくしたのはファイトかもしれない。

逃げちゃダメ、忙しいからって自分の勉強をやめたらダメ。やりなさいと言われたことを右往左往しながらやるだけじゃダメ。自分に妥協するのは一番ダメ。

同期2人はノン・メディカルな分野から来たけれど、私は曲がりなりにも看護出身。こんなに何も知らないようじゃダメ、考えられる頭を持たなきゃダメ。残りの2人は私よりはるかに賢いけれど医学出身じゃないんだから知らないことやできないことがあったって当たり前。私は同期と傷をなめあったり甘えたりしている場合じゃない。リーダーシップを発揮なんて大それたことは出来ないけれど、それでももっとアグレッシブに攻め込む姿勢と思考力がほしい。
もっと勉強しなくちゃダメだー!どうして院に入学するまでにもっと勉強しておかなかったのかなぁ!

自分のバカ!他人のせいにはしないぞ!今から変わるぞ!